2006年 全米ロード選手権大会 参戦レポート

7月16日(日)、ペンシルベニア州 セブンスプリングス

距離88Km、累積標高差2000m


アメリカのロードレース・ナショナルチャンピオン決める全米選手権大会(USA Cycling National Championships)にマスターズで出場した
 Google Earthより

2004年、2005年はユタ州パークシティで開催され、今年2006年は開催地をペンシルバニア州に移して、7月5日〜17日までの12日間の日程でペンシルバニア州西部のリゾート地Seven Springsで行われた。

大会会場は、ロードレースと個人タイムトライアルはSeven Springsの山間部で、クリテリウムは近郊の街Jennerstownにあるクルマのサーキット競技場、Jennerstownスピードウェイの一部が使われた。Seven Springsはピッツバーグから車で約1時間東、フィラデルフィアからクルマで約4時間西の位置にある。冬はスキー、春夏秋はハイキング、ゴルフ、自転車(MTB、ロード)も楽しめる一大リゾートで知られる。

Seven Springsを鳥瞰で眺めると上のような地形になっている。平坦なペンシルベニア州にあっては規模の大きい”山地”になっている。
(Google Earthよりデータ入手)

 Seven Springs全景
競技種目はロードレース、クリテリウム、個人タイムトライアルの3種目。各種目とも16のカテゴリに分かれている為、3種目併せて48のカテゴリについて夫々の全米チャンピオンが決まる。競技カテゴリとその出場資格の解説はコチラを参照。12日間に渡って行われる大会には全米各地から合計2000名以上の出場選手と累計1万人の観客が会場を訪れる。

【出場を決める】

今年の全米選手権が地元ペンシルベニア州で開催されると聞いたのは、2006年の春。所属チームの部長から電話で「今年のナショナルチャンピオンシップはペンシルベニア州だ、コースは山岳コースだから君にはピッタリだろ、出場して見ないか?出場費はクラブが出す」と言われ、これは良い経験になる、またとない機会だから出てみようと軽い気持ちで「Yes」と即答した。

全米選手権大会の存在は前から知っていたが、これまでは自分には無縁の異次元の大会のように思っていた。それが出場を決めたことで現実のものとなり、俄かに緊張感が心の中で広がって行った。

【参戦種目とカテゴリ】

参戦種目はロードレース、カテゴリはマスターズの40-44歳の部。競技は2006年7月16日(日)の午前7時半スタートと決まった。申し込みを行ったのは4月だったが、既に人数制限枠125人まであと僅かに席が空いている状態だった。申し込み後数日で125人の定員が一杯になった。選手名簿をインターネットで見ると、普段一緒にレースで走る顔なじみの地元他チーム選手が5人ほど見受けられ、何やらホットした。

【大会まで14週間】

大会まで残された時間は約14週間。14週というと長いように思えるが、トレーニングのサイクルを考えるともう間近。幸い昨シーズン終了後に組んだトレーニング計画は7月22日に行われる重要レースの一つ、Mt.Neboロードレースに合わせて組んでいたのでピークの設定をやり直す必要は無かったが、内容について若干の変更を行う事にした。長い登りと急な登りに備え、20分間のLT値でのインターバルや重いギヤを踏んで坂を上がるインターバル、そして坂でのスプリントインターバルを中心としたメニューに設定。長距離を走る練習も入れたかったが、毎週末毎にレースを転戦する予定が入っているので長距離の練習が加えられなかったのが残念だった。長距離練習はシーズンオフにもう少し多く入れておくべきだったかも知れない。大会当日が近づくにつれて落ち着かない気持ちになってきた。全米ロード選手権がどんな雰囲気のものなのか全く想像がつかないからかもしれない。

【大会前日】

ジャージに付けるゼッケンや自転車のフレームに付ける番号は競技日の前日までに受け取る必要がある為、前泊が必要でした。土曜の午前10時半に自宅を出発。約350Km先の会場へと向った。途中で雷雨や渋滞にあったものの約4時間で会場に到着。到着した時はちょうど女子のマスタークラスがゴールするタイミングでコースは交通規制が敷かれ駐車場に行くのに時間がかかった。早速ゼッケンを受取ろうと思い受付に行ったが、ゼッケンの交付は午後7時から午後9時まので間しか受け付けないということなので一旦麓のホテルに戻り出直すことにする。

ジャージにゼッケンを付ける
自転車にも番号を付ける

ホテルまでの道は明日のコースの後半の一部を走るので下見を兼ねてドライブ。後半に急な長めの登りが設定されており、明朝のレースの厳しさを予感させられた。指定された時間に再びレース会場へと戻り受付を済ませ、ゼッケンを受取った。ホテルに戻って自転車のフレームに番号を付けていると、隣室の人も自転車を磨いている。その人はフロリダから来たようで最終日のロードレースに60歳以上の部でマスターズに出場するとのこと。その人曰く「今年のロードレースのコースはここ数年で最も厳しい。ユタ州のレースでさえこんなに厳しくは無かったよ。今日のマスターズ男子30-34歳のレースも途中でバラバラになり単独走が目立っていたよ。集団から大幅に遅れると交通規制の関係もあって警察が遅れた選手のレース続行を許可しない」と言っていた。そう言えば会場に貼られていた公式リザルトもDNFを含めてもリザルトに乗っていた人数が少なかった。DNFにさえ名前が載らない選手は相当に遅れたのだろうか?

事実、エリートクラスを走った選手のレースレポートがアメリカ自転車連盟の公式Webに掲載されていたが、彼もこのコースは最も厳しいコースの一つだったと回想している。

そんな話を聞き、完走できるか?と弱気になったりもし緊張のせいか殆ど眠れないまま起床時刻を迎えた。


【大会当日】

午前4時半起床。洗面を済ませ、ベーグルにジャムをたっぷり塗り、スポーツ飲料を飲みながら朝食を済ませる。原則としてスタート3時間前には食事は済ませておいた方が

午前5時45分に出発。バナナを食べながら会場へとクルマで向かう。30分強で駐車場に着く。駐車場にはまだ数人しか居なかったが、アップの用意をしているうちに徐々にクルマの数が増えてきた。まだ朝の6時過ぎというのに予想より気温が高く、湿度を感じる。ローラ台で30分UPしている間も汗をいっぱいかいた。アップ中は普段どおりの気持ちで居られた。ここまで来ればあとはなるようにしかならないと言った気持ちだった。
スタートゲート
スタート時間が近づくと、公式審判のクルマが4台、オートバイが3台、シマノのニュートラルカー1台、警察のクルマが10台近く勢ぞろいして来た。
スタート/ゴール前
アップを済ませ、スタート10分前にスタートラインに並ぶ。前から2列目に並べた。人数は名簿の125人より少ないように思えた。多分100人前後だったように思う。居並ぶ選手の多くはセミプロのCat1,Cat2の選手だ。中には元プロ選手も居る。見慣れない他州チームジャージの中に、見慣れた地元チームのジャージを見つけお互いに目で挨拶を交わす。やはり普段のレースとは違った緊張感がある。スタート間近になると先導バイクのエンジンが始動し、Bikeやホイールを満載したシマノのニュートラルサポートカーが最後尾に付ける。いよいよ88Km先のゴール目指してレースが始まる。
シマノのニュートラルサポート
ニュートラルカーやパトカーも整列し始める
【レース開始】
ホイッスルが鳴り、頭上のスタートゲートに設けられた電光時計がタイムをカウントし始める。選手は一気に加速し、スタート直後に待ち構える坂を駆け上がって行く。平均勾配は6-7%、距離は500m位。一気に心拍が上がって行く。皆気合が入っているのが伝わってくる。
スタート前の緊張の時

最初の登りを終えると約4Kmのややワインディング気味の緩い下りになり、さらにその先約6Kmの急な下りに入って行く。山頂から麓へ一気に直線的に高度を落とす下りだ。時速は軽く100Km/hを超えている。1周目の下りは未だ人数も多く、100Km/hを超える速度での集団ダウンヒルは正直言って心地よくない。100Km/h以上で下っているのに更に猛スピードで追い抜いて行く選手も居る。私はあまり下りが得意でないので徐々に集団の後方へと追いやられていく。当然後ろを振り返って確認するような余裕は無い。しっかり下ハンドルを握り前を見つめて下るのみ。

集団は縦に長く伸び、下りが得意でない人は私と同じように先頭からやや離れて行くのが見える。下りで遅れるなんてもったいない話だ。下りきったあとは右へのターンだ。コーナーに備えて減速を始める。ブレーキの融けるような臭いが立ち込める。

十分に減速し右ターンのコーナーを抜ける。曲がって1Kmはフラットだが直ぐに400m程度の平均勾配14%の登りに差し掛かる。結構キツイ登りだ。下りで後ろに下がった分取り戻すためにこの登りを使って少しずつ前に上がる。登り切ったあとは暫くフラットで、やがて下りになり90度の右コーナーへ進入して行く。まだ集団の人数は多いままだ。

スタート後12km、いよいよ平均勾配5−7%、約6Kmの登りに入る。道幅は広いが向かい風が前方左手から吹いている為、集団は右へ右へと流される。右端を行く選手は路肩の悪路に落ちないように気を使いながら走行している。登りの前半は5%弱の登りなので、フロントはアウターに入れたままで走る。後半の3Kmは7%近い平均勾配なのでインナーに落として走る。ジワジワと集団の前に上がって行く。時折先頭でスピードアップがかかり揺さぶりがかかる。その度に落ちてくる選手を抜き前に上がる事を繰り返す。頂上が近くなる頃の最も勾配がきつくなる辺りで先頭が一気にスピードを上げた。ダンシングで追走する、脚に乳酸が溜まり始めるのを感じる頃ようやく最高標高点を通過した。この時私は先頭から約30番くらいにつけていた。後方を見る余裕は無かったが、恐らくここで最初に集団の人数が絞られたと思われる。

この後は約9Kmの下り基調の区間に入る。皆この間にリカバリを図る。おそらくこの下りで、最初の長い登りで遅れた選手の一部は追いついてきたと思う。この区間は幹線道路を使うので警察が交通規制を行っている。通行するクルマは皆道路脇に停車させられ、交差点では通行禁止になっている。25km付近で右折し幹線道路を離れ再び山の中へと進んで行く。

リカバリ区間も間もなく終わり、間もなく幾つものアップダウンを繰り返すセクションに入る。最初の関門は27Km付近の平均10% 500mの登りだ。ペースは落ちない。ダンシングで登る選手が多い中、私は39X25Tでシッティングでケイデンスを高くして登る。重いギヤでダンシングで登るより、高いケイデンスでシッティングで走る方が結果的には速いと思う。事実、最初は重いギヤでトルクをかけて先行していた選手を途中から捕らえて抜く事が多かった。ここで第二のリストラが行われた。後で聞いた話によると、この坂で遅れた選手はDNFになっている。またDNFとしてリザルトに載らなかった選手は恐らく最初のリストラで遅れた選手ではないかと思う。

間もなく1周目を終える頃

28Kmから進路を右に取り、32Kmまでダイナミックなワインディング路の高速アップダウンが続く。結構この区間はハイスピードでテクニカルな設定になっている、油断すると遅れる。ギヤはアウターに入りっぱなしで平均7%の坂は惰性を使って我慢してトルクをかけて登り切らないと遅れてしまう。

35Km過ぎ、下りのあと90度の右折を抜け、いよいよ後半の核心部に入る。前方には平均11%の500mの登りが見える。誰からと無くため息みたいなのが聞こえた。集団はスタート時の半分以下になっていた。

平均11%の登りを終え、36Km過ぎからは平均9−10%の1.6Kmの登りが始まる。ギヤは39X25Tでシッティングでペースを大切にして登る。この第3のリストラでも私は残る事が出来た。登り切った後2Kmの下り。リカバリを図る。

38Km付近から最後のリストラ区間が始まる。平均10%、500mの登りと平均9%の300mの登りが待ち構えている。ここまで順調に先頭集団に残れてきたが、第4のリストラ区間が終わる300mて手前付近で、先頭がペースを上げ始めたのか、徐々に私とのペースが合わなくなってなってきた。徐々に集団との距離が広がり始めた。ゴールまであと50Km残されており、もう1周する事を考えるとここで無理をしてペースを上げると後でダメージが大きくなる心配があった為、自分のペースを守ったまま登る事にした。とうとう先頭集団から離れてしまった。

丁度自分とペースの合う選手が1名居たのでその人と協力して走る。39Kmで登りが終わり、43Kmまでは緩い登り基調の区間に入る。2人になったのでペースは必然的に落ち、リカバリを心がけるようにした。43Kmからは平均7.5%の登りが1Km続き1周目を終える。

平均9%の登り
スタートゲートを超え、2周目に入った。先頭から2分30秒の遅れだった。後ろを振り返ると6人程度ののグループが見えた。もう一人と相談して、そのグループと合流して走る事にした。人数が多いほどエネルギをセーブできるし、結果的に自分ひとりで走るよりタイムが速くなる。
周回を重ねる選手達

50Km付近の高速ダウンヒル手前で、そのグループと合流し10人弱の第二集団を形成した。このあと75Km地点までお互いに協力して出来るだけ速度を落とさないように進む。

75Kmから先はコース後半の核心部分になる。平均9%、1.6Kmの登りでは私が先頭を引く。ギヤは39X25Tでケイデンスを保ちペースを一定にして登る。前方には3-4人のグループが見えた。1周目では先頭集団に残っていた選手達だ。3人のうち一人が遅れ始めたのが見えた。そして徐々に距離は短くなり、9%の登りの中間で吸収した。その選手は普段一緒にレースする地元選手でとても強い選手だ。2言、3言言葉を交わした後その選手は後ろに後退していった。

9%区間を登り切った後、私の先頭を引く役目は終わり、他の人に先頭を譲った。そのうち3-4人がペースを上げ始めた。10%の登りに入っていた。私はペースをなかなか上げられず、差は100mくらいに広がった。とうとうゴールまで差を詰める事が出来ず、ゴール前の平均8.5%の坂も25Tに入ったまま。

そしてついにゴールラインを超えた。

 ゴールの瞬間

88Km、総標高差2000mの全米ロード選手権を完走した。当初の目標であった「完走」を果たし、あわよくばと思っていたTop50にも入れたのでまずは良しとしたい。

成績:35位/51人完走(100人程度出走) 時間2時間42分(トップから11分遅れ)

15位迄はCat1,Cat2の選手で独占された。さすがにCat1、Cat2の選手は強い。15位以降Cat3の選手がチラホラとランキングし、私はCat3の中では8位だった。

【コースプロファイル】

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